第7章 ウシ
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乳牛の祖先であるオーロックスは、人類が家畜化に成功した動物のなかで最大級だっただけでなく、最高に手強い相手でもあった 1万8000年前のオーロックスの洞窟壁画は宗教的な、畏敬の念の表出
オーロックスの現生の近縁種
旧石器時代の人間達も同じようなものだった
成功すれば得るものも多いが、あまりにも危険すぎる
危険あるいは恐怖と、否応なく惹きつけられる魅力という組合わせは、エドマンド・バークが述べたかの有名な「崇高」の感覚を喚起する(Burke, 1998; 原著は“On the Sublime and Beautiful" (1757)である。邦訳は『崇高と美の観念の起源』など。) どんな生物であれ、家畜化すると崇高さが台無しになってしまう
ウシはヒツジとともに、わたしたちが家畜化した動物の中で最も従順な生き物 家畜化されたウシでもこの形質には幅広い差が見られる
オーロックスへの崇拝から闘牛が誕生したというのは、直感に反するようにも思える
旧石器時代のハンターたちは、崇敬の念の源であり肉の供給源でもあるオーロックスを心血を注いで追い求めた
闘牛への熱情の大部分は、旧石器時代のハンターたちの熱情までたどることができる
人間は、畏敬の念を儀式化することが多い
おそらく畏敬の念を手懐けるためであり、他の目的へと誘導するためでもある
いずれにせよ野生のオーロックスが畏敬の念を抱かせるものであり、儀式化された宗教的行動の対象であったのは確か
ラスコー洞窟の壁画(約1万7300年前)は芸術のための芸術ではなく、狩りについての魔術的な思考を単に反映するものでもない 当時、最も重要な肉の供給源であったトナカイがまったく描かれていなかったのは特筆に値する この壁画はむしろ崇敬の表出
そこに描かれている中で最も印象深くかつ最大の主題がオーロックスである
Guthrie, 2005は第5章で、大型哺乳類を描いた洞窟画一般の動機について、美的な動機から魔術的思考、シャーマンの宗教的儀式まで、さまざまな観点から議論している。 いったん家畜化の過程が開始されると、ウシへの崇敬を雄に限定する傾向が高まっていった
オーロックスが最初に家畜化されたところに近いトルコのチュタルヒュユクには、家畜化された雄ウシの見事な壁画などが残されている
およそ9400~8000年前、家畜化過程が開始されてほどない頃のもの
チュタルヒュユクに見られるように、頭骨と特に角で表されるオーロックスの雄々しさを強調する傾向は、西アジアやエジプトの神々において、時代が下がるにつれてますます顕著になっていった
神々にまつわる領域ではよくあることだが、崇拝の対象は生贄の対象にもなる
のちには、生贄として屠ってしまわずに、他の象徴的な儀式が行われるようになった
特にミノア文明期のクレタ島で盛んに行われた「牛跳び」 雄ウシの角をいきなり掴み、空中に振り上げられバク転し、雄ウシの向こう側あるいは雄ウシの背中の上で足で着地すれば成功
エヴァンズはミノア文明と名付けた人物である
クレタ島に君臨してダイダロスに有名な迷宮を作らせ、ミノタウロスを閉じ込めた伝説上のミノス王にちなんだ名称 牛跳びはクレア島にかぎられたものではなく、西アジアの多くの地域や、おそらくエジプトでも行われていた
インドにも注目すべきバリエーションがあり、インド亜大陸の南部で今日に至るまで存続している
ジャリカットゥに用いられる雄ウシは儀式専用に品種改良されたもの
闘牛と違って雄ウシは無傷で登場する
南フランスのいくつかの地域で、ずっと雌ウシを用いるもの(この種の闘牛は南フランスでランデーズ式と呼ばれる。) オーロックスの進化
イノシシと同じく、オーロックスも哺乳類の偶蹄目に属しており、偶数本の蹄と二重滑車構造の腱を有している だが、オーロックスは偶蹄目の系統樹内でイノシシとはまったく別の枝上に位置している
食性に関してイノシシ類よりもずっと特殊化しており、実際、餌にするのは葉などの植物体に限られている かなり栄養価の低い食餌向けに特殊化しており、それは消化系によく現れている
ブタが哺乳類の基本的な歯列をそのまま保持しているのに対し、ウシ科など反芻動物のほとんどは切歯と犬歯の大半あるいはすべてを失っており、かつ臼歯は複雑化している 適応形質として歯よりも重要なのは、反芻、つまり繰り返して咀嚼すること 摂取した食物はこの時点で液体部分と固形部分(食塊)とに分かれ始める
第二胃(蜂巣胃)でも引き続き、液体部分と固形部分の分離の処理が進行したあと、食塊は口腔内に吐き戻しされ、2回目の咀嚼を受ける 咀嚼に再嚥下された食塊は再び第一胃に移動し、第一胃と第二胃でさらに消化される
この時点で食塊は大半が液体化している
人間の胃に相当するのがこの第四胃で、消化分解され、小腸に送られてほとんどの栄養分が吸収される
セルロースは葉に多いので、草本にはセルロースが特に多く含まれてる
その頃、反芻以外の消化方法を採用していた他の大型草食哺乳類(ウマ、ティタノテリウム、サイ、バクなど)の大部分は絶滅し、それに取って代わって反映しはじめたのがウシ科などの反芻動物だった この事実が、反芻という消化方法がセルロースを相手にする方法として大いに成功しているのを証明している(Janis, 2007) ウシ科のメンバーを他の偶蹄類と、さらに他の反芻動物とも区別する唯一の特徴は角 洞角は頭骨の角突起に角質の発達した角表皮が鞘のようにかぶさったものであり、角突起の内部は中空になっている 洞角は生え変わらず一生伸び続ける
この角は捕食者に対する防衛に用いられるだけではなく、地位と雌をめぐる雄間の競争でも活躍する
角を用いた闘争は儀式化されているが、時には致命的になる
この性選択の結果として、ウシ科の雄は雌よりも角が大きい ウシ科が初めて登場したのは約2000万年前のことだが、分子データによる推定にはかなり幅がある
その後の500万年でウシ科は爆発的に種分化し、今日に至るまで優占的な草食動物として君臨しており、偶蹄類の半分異常がこの単一の科に属している
種分化が急速だったためもあり、ウシ科系統樹内の細かい構造(属や種がどこで分岐したか)を精密に再構成するのは難しい(Bibi & Vrba, 2010)が、主要な分枝については専門家の意見は一致している ウシ科は、ウシ亜科とそれ以外のグループに大きく分かれる ウシ亜科
野生ウシ(オーロックスやガウア、スイギュウ、ヤク、バイソンなど)
ウシ亜科以外のグループはウシ亜科が分枝したあとに複数の枝に分かれており、ヒツジ、ヤギ、アンテロープ類(レイヨウ類)の一部が含まれる( たとえば、シャモア、シロイワヤギ、カモシカ、ゴーラルなど) そこから西方へ広がり西アジアに達した
西アジアからいくつかの集団が南方へ拡散し、エジプトを通って北アフリカへ移動した
北方へ向かい、さらに地中海北岸を西方へ移動して約70万年前にスペインに到達した集団もいた
南ヨーロッパの集団は氷河後退に続く温暖な時期に北東方向に拡散し、約27万5000年前にドイツに到達した
この集団はさらに東方へ拡散し続け、やがてユーラシア大陸の温帯林の大半を占めるに至った
最初に人間と接触して以来、オーロックスを取り巻く環境は悪化し始めた
狩りの対象にされ、最終的には農耕の開始に伴って森林生息地の消失が加速化したことにより絶滅に追いやられた
オーロックスの絶滅のパターンを歴史的にたどると、人口密度と密接に関係しているのがわかる
近東→インド→南ヨーロッパ
最後まで存続したのは最後に移住した場所
ローマ時代にオーロックスはまだフランスなど西ヨーロッパや中央ヨーロッパで普通にみられた(ただしイタリアでは絶滅していた)
カエサルはガリア地方を侵略したときに初めて野生のオーロックスを目にした 「大きさがやや象に劣り、……その力も速さも大したものである。人間でも野獣でも姿を見れば容赦しない。……小さな頃につかまったものでも、人に手なづけられたり、かいならされたりしない」(カエサル『ガリア戦記』第6巻28節) 中世には、オーロックスはポーランド東部でほそぼそと生きながらえるのみとなっていた
最後に残った雌は1627年に死んだ
家畜化されたオーロックスの台頭
野生のオーロックスが絶滅した頃、家畜化されたオーロックスの個体数は大幅に増え、その数は地上の大型哺乳類の中で一、二を争うほどだった
ユーラシア大陸の亜種(Bos primigenius primigenius)
インダス川上流地帯(インド)
ユーラシア大陸の亜種をもとに家畜化されたタウルス牛は、そこからあらゆる方向に向かって分布を拡大したが、主に西方へ、その後南方と北方に広がり、やがてヨーロッパと北アフリカに到達した
北方ルートに向かったタウルス牛
バルカン半島→中央ヨーロッパ→最終的には北ヨーロッパ
この移動は、それ以前に狩猟採集民が居住していた地域へ農耕民が移住したことにより促進された
北方へ進出した集団由来の品種は地中海ルートを経た集団由来の品種とは遺伝的に異なっている
南アジアの亜種由来のゼブ牛
タウルス牛とは明らかに異なる特徴がある
首の背中側に目立つコブがあり、首の下には喉袋(胸垂) また、高温と干魃に対する生理的な適応が見られるが、タウルス牛にはそのような性質はない
南インドではゼブ牛の原種となったオーロックスの絶滅が遅かったため、家畜ウシと野生のオーロックスとの交雑が長く続くことになった(Fuller, 2006) 家畜化に際してはどんな動物でもボトルネック効果が見られるものだが、ゼブ牛はある程度緩和されたのである
インド亜大陸全域に拡散→東南アジア全域と中国南部→シベリア南部や韓国
西に向かったものもあり、西アジア地域のほとんどで、タウルス牛と置き換わった
おそらく気候が変動して乾燥度が高くなったことに後押しされたのだろう
ゼブ牛が初めてアフリカ大陸に到達したのは5000年ほど前のことで、おそらく海路を経由した
どこかの地点、おそらくエジプトでタウルス牛と遭遇し、交雑によって集団内の遺伝子構成が変化した
角の長さは家畜化の度合いを繁栄しており、短いほうが家畜化の度合いが高い
タウルス牛の角の短いタイプが初めて描かれたのは4500年頃のこと
このゼブ牛が長短それぞれのタウルス牛と交雑した結果、アフリカ独特のサンガ牛(アフリカ産のコブウシ)が生じることになった 1400年ほど前には、海を渡って貿易に来たアラブ人がゼブ牛の新顔である角の短いタイプを連れてきたため、遺伝子構成はさらに複雑になった(Epstein, 1971) この新たなタイプもサンガ牛に加わった
サンガ牛には様々な家畜ウシ集団に由来する遺伝子が混在している
当然のことながら、サンガ牛の遺伝的多様性は極めて高い
ヨーロッパ系とインド系の遺伝子の構成比率が様々であるだけでない
部族によって文化が様々であり、また飼育の環境も多様であるため、それぞれの環境に適したものが選択されているからでもある(E. Rege, 2003) 普通、サンガ牛には背中のコブがあるが、たいていのゼブ牛よりコブは小さめ
また角のサイズには、ジンバブエ産の角のないマショナから、ルワンダやブルンジに居住するツチ族の誇りである立派な角の生えたアンコーレ・ワトゥシまで、かなりの幅がある 崇高な存在から家畜への転身
オーロックスはまず食肉源として人間の役に立つようになった
ある時点で、おそらく人間の定住傾向が強まるにつれ、オーロックスの肉を安定した供給源とするために、ハンターたちはある種の保護策を採用したに違いない
この檀家では人間側としては大して管理する必要もなく、ただオーロックスが森の中に移動しないようにする程度のことだった
野生状態から家畜の原型的な状態に至る段階では、変化はほんの少しずつ起こっていたのだろうが、やがて人間が管理に大きな力を注ぐようになり、大型でいまだに危険なオーロックスを囲い込んだり動きを誘導したりすることが次第に増えていった
人間のコントロールがかなり及ぶようになって初めて、搾乳や荷物の運搬、畑を耕すといった食肉の供給源以外の用途に使えるようになった
最近、この仮説に意義が唱えられた
1万年前の陶器に牛乳の残渣が付着してたという証拠が得られた
だが、この年代は疑わしい
初期の家畜化段階では、どれほど従順であったとしても、オーロックスの標準的性質からすれば牛跳び以上の勇気が必要だっただろう
さらに、その乳房から得られる程度の量では、とてもじゃないが釣り合わなかっただろう
象徴的な価値を求めてのことならひょっとしたらありえたかもしれないが
近東のオーロックスはヨーロッパのオーロックスよりもかなり小さかった(「きゃしゃ」だった)可能性があり(Edwards et al., 2007)、そのため乳搾りの最中おとなしくさせやすかったかもしれない。それでもなお、大勢で縛りつけ、人間が怪我をしないようにする必要はあったと思われる しかし、地域によっては、酪農が5000年前よりもかなり前に重要なものになったのは確か
かなりの労力と、肉牛をはるかに超える従順性が必要なのを考慮すれば、初期に乳などの産物が消費されていたのは注目に値する
哺乳類ならどの家畜にもあてはまることだが、家畜化に至る最初の自然選択とその後の人為選択において、選択の対象となったのは従順性
おそらく、身体的な面で最初に見られた変化は体全体のサイズの減少
ガウアは現存する野生ウシの中でも最大だが、その巨大なガウアでさえ野生のオーロックスに比べれば小さい
角はそれ以上に短縮している
オーロックスの角は三つのカーブからなる複雑な形状をしているのが特徴
家畜ウシのなかでこのような形状の角を保持しているのはごく少数の品種だけで、そのうちの1つがスペインの闘牛 しかし、オーロックスに比べてかなり小さくなっている
角の短縮が最高に達しているのは、角なしの品種
野生型の毛色が失われる
毛色の違いは初期のウシ飼いが自分のウシと野生個体とを区別するのに役立ったかもしれない
雄のオーロックスが家畜ウシの遺伝子プールにオーロックスの遺伝子を持ち込むのを防ぐのが特に重要だった
雌は貧弱な家畜ウシの雄よりも野生のオーロックスを好んだのは間違いない
雄のオーロックスは野生の雄イノシシと同様、それほど選り好みをしなかった オーロックスはガウアに似た特徴的な毛色をしていた
雌と若い雄は濃い赤褐色で、雄は成長すると毛色が濃くなってほとんど黒色になり、背筋に沿って黄褐色の「鰻線」と呼ばれる筋が走った バリエーション豊かな家畜ウシで、この特徴的な毛色パターンを保持しているものはほとんどいない
白は家畜化に特徴的な毛色
それ以外の性差も家畜化過程を経るうちに小さくなっている 毛色における性的二型はオーロックスに似た品種のいくつかを除いて失われてしまっている これは角のサイズにもあてはまる
雄は行動的にも雌に近くなっており、野生の先祖よりも攻撃性が低下し、したがって愛想がよくなっている
ブタと同様に、このように性差がなくなっていく傾向は、人間が管理する環境下で性選択の圧力が低下したために生じたこと 場合によっては、従順な雄ウシを求めて意識的に選択してきたことによってこの傾向が増大したのは疑いない
性差の減少はまた従順性を対象とした選択の副産物かもしれない
生後の発達過程にネオテニー的な変化が生じることによって現れるもの 雄は発達がゆっくり進み、雌よりも2, 3年遅れて成熟する
ネオテニーは雄の方によ大きな影響を与え、角のようにあとになってから発達する形質が特に変化するのだろう
雌雄ともに角のサイズが小さくなるのもネオテニー的な特徴かもしれない
鼻づらや四肢の短縮など、家畜化ではよくセットになってみられる表現型も同様
短い角や角のない品種の進化は、角の発達におけるヘテロクロニー的な変化が比較的明確に現れたのかもしれない
とはいえ、家畜ウシの特徴の多くが特定の形質を対象に人為選択を行った結果生じたものであることは明らかだ
乳の生産については特にそれが当てはまる
野生のオーロックスの雌は遠目では乳房が判別できなかった
乳房を増大させ乳の産出量を増加させるために、人為選択がしつこく行われてきた
牛乳は人間の食生活に様々な利益を与えてくれる
哺乳類の子どもが実証しているように、万能の優れた食料
日射量の少ない高緯度地方では、紫外線のレベルが引くすぎててビタミンDが合成できず不足するため、カルシウムのレベルも低くなってしまう 人間の子供はラクターゼ(乳糖分解酵素)をもともと多量に産出しているので、子どもにとってラクトースは問題にならない 成長すると、ほとんどの人ではラクターゼの産出量が激減し、ラクトースを摂取すると腹痛などの症状が生じてしまう
酪農を初期段階以上に発達させるためには、酪農を営む人間側に生物学的な変化が起こって、成人になってもラクターゼの産出が持続するようにならなくてはならない
この突然変異遺伝子の頻度は、牛乳が食料としてそれほど重要なものではないヨーロッパ南部に向かうにつれ低下する
この突然変異が独立に生じたとは考えにくい
おそらく両者に共通する祖先集団で生じたのだろうが、その集団がどこに生息していたのかははっきりしていない
ラクターゼ産出の持続を引き起こす突然変異遺伝子が最初に一般的になったのがどこであろうと、その地域を出て南東方向へ向かった人たちや北西方向へ向かった人たちがいたに違いない(Gerbault et al., 2011) また、サウジアラビアやシナイ半島のアラブ系遊牧民であるベドウィンも、摂取カロリーの多くを乳製品に依存しているのだが、この遺伝子はもっていない そのかわり、ベドウィンではラクターゼ産出の持続を引き起こす他の突然変異が何種類か生じていることが明らかになった
都会で生活するパレスチナ人などアラブ人集団でも、その近くで牧畜生活を送るベドウィンには普通に見られる突然変異遺伝子の頻度が低いという事実も同様に示唆的(Hijazi et al., 1983) ヨーロッパとアフリカで見られるラクターゼ産出の持続は、同様の環境条件下で生活する複数の人間集団で起こった収斂進化の一例であり、この場合はそれぞれ独自に発達した文化的慣習が環境条件として影響を与えた もちろん、人間の文化的慣習と、移住によるその拡散は、現代のウシの品種の発達においても重要な要因だった
ウシのゲノミクス
ウシの全ゲノムが最初に解読されたのは2009年のこと
以来、複数のゲノムが解析された
その後まもなく、イヌやブタで行われたのと同様に、ウシの各品種のゲノムを比較することにより、機能的な重要性を持つかもしれない突然変異の有無が調べられた
機能的な形質や品種の違いでは、スニップ以外の突然変異も目立っていた
ホルスタインでは特に乳汁分泌に関するCNVが豊富に見られた
ここから、牛乳産出量を増やすためにしつこく行われた人為選択によって得られた良好な結果には、点突然変異のみならず遺伝子増幅も寄与していることが示唆された これには、CNV が引き起こす遺伝子構造の変化、遺伝子量効果、劣性遺伝子の選択への曝露など、多数の根拠がある。CNVはまた点突然変異よりもゲノムの大きな範囲に影響を及ぼす可能性がある。 オーロックスからホルスタインへ、そしてまた逆戻り?
その過程で野生のオーロックス自身は絶滅した
さらに家畜化過程が進行するにれ、いまや、現存する品種の多くが消滅しそうになっている
機械化されていない状況で開発された地方独自の品種は、そのような要求に合わせることがほとんどできない
遺伝的多様性の損失は個々の品種内でも起こっている
最も顕著なのはホルスタイン
人工授精によりわずかな数の雄ウシが大多数の雌ウシを妊娠させている
わずか二頭の雄ウシ(しかも父親と息子)が全米のホルスタイン集団の7%に遺伝子を提供している(Lewin, 2013) 父親はポーニー・アーリンダ・チーフ(「チーフ」)、息子はウォークウェイ・チーフ・マーク(「マーク」)という名である。
肉牛の世界でも事態は変わらない
米国以外でも世界中で同じような傾向が見られる
主に荷物運搬用だった品種のなかには、料理界から助けてもらえるものもあるかもしれない
他にも荷物運搬用の品種のサヤグエサ(ザマロナ)も、どんな味かは知られていないが、絶滅したオーロックスとの類似度が高いため、未来があるかもしれない 科学者達がオーロックスを遺伝的に復活させようと試みている
ベルリンではルッツがまったく別の方向から取り組み、南ヨーロッパ産の品種に注目して、カマルグ牛やスペインの闘牛用品種などを交配した 2人はそれぞれ、数世代の交配によってネオ・オーロックスを作り出すのに成功したと主張したが、どちらも間違っていた
どちらのネオ・オーロックスも本物のオーロックスに比べて身体はずいぶん小さく、家畜ウシのように胴体が短かった
角は平均的な家畜ウシに比べれば長かったが、概してオーロックスの角とは形が違っていた
ネオ・オーロックスのなかには、背筋の鰻線を含め、オーロックスと同じ毛色のものもいた
ほとんどはスコティッシュ・ハイランドそっくりで、もじゃもじゃの長い毛まで生えていた
この失敗した実験は、表面的な類似性だけに基づいた怪しげな遺伝学頼みのものだった
近年、もっと精巧なオーロックス復活計画がオランダで立ち上げられた
ヨーロッパの自然が残る地域に、オーロックスに限りなく近づけたウシを再び生息させるのがゴール